2007年12月26日
25日の読売新聞朝刊で気になる記事を目にしました。
「フランダースの犬 日本人だけが共感」
記事によると、物語でネロの死に場所となった大聖堂のルーベンスの絵を見上げ、
日本人が涙を流す姿を見たのがきっかけにより、
ベルギー人映画監督(ボルカールト)が日本の「フランダースの犬」を 検証 する
ドキュメンタリー映画を作成したそうだ。
画家を目指す主人公ネロが志半ばで倒れる結末は
「負け犬」(ボルカールト)としか映らず、英国やベルギーでは評価されることは
なく、悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めてたのかは
長らく謎とされていた。
プロデューサーのアン・バディーンデレンさんは
「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに
ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を
体現するものだった」と結論づけた。
(読売新聞から抜粋)
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「フランダースの犬」
あの結末、私は好きではありません(そりゃ生きてて欲しいよ)
「世界名作劇場大全」の本によると
最終回が近付くにつれ、悲しいラストを知るたくさんの視聴者から
「ネロとパトラッシュを死なせないで!」と放送局などに殺到した。
この嘆願の手紙は数千、数万とも言われ、一時は新聞の社会面を賑わした。
とある、これを考えると、あの死は日本人の多くは望んでいないと
思われる。(逆の結末だから、皆の心に深く残っている?)
さて、皆さんに質問です。
「フランダースの犬」のラストを見て
「ハンス」や「コゼツの旦那(アロアの父)」の悪口は出ても
ネロに対して「負け犬」という発想はありましたか?
(ここが日本人との決定的な考え方の違いあると、私は思うのです)
以前、民放で
町行く人たちに「フランダースの犬」を見せて
泣いた人に理由を聞いていた番組が印象に残っています。
多くの人が「かわいい孫を一人残して死んでいく、お爺さんの気持ちを思うと」
でした。(違ったかな?)
「私が考えるフランダースの犬 日本人が共感する理由」
もしかしたら日本人は
漫画を読んでいたら漫画の主人公に
映画館を出たら映画の主人公になりきるなど(コスプレ文化も?)
感情移入や、他の人の気持ちを考えるという事が
他国の人より出来るのかも知れません。
悪い意味で言えば、他人を気にしすぎる。
昔から日本では、「他人の気持ちも思いやる」という文化が
ありますし。(昨今の事件の数々では、考えにくいですけど)
「フランダースの犬」を見て私が感じた事は
自分の父親によって結果、好きだった男の子が死んでしまった。
アロアはこの先、可哀想だな…と涙を流さずにはいられません。
映画アニメ版「フランダースの犬」(未見)でアロアが修道女となっているのは
納得がいきます。
隣りの本は「私たちの好きなフランダースの犬 別冊宝島」です。